コラム

 公開日: 2015-03-25 

オンライン辞書、誤りの原因を追いかける

「心胸外科」は日本語なのかとの関連です。
1つの用語に対するオンライン辞書訳が10通り近く割れているケースを取り上げます。

オンライン辞書A
 cardio-thoracic ratio 心肺比率
 cardiothoracic ratio  心胸郭比

オンライン辞書B
 cardio‐thoracic ratio
   心肺係数; 心胸かく比; 心臓郭比; 心臓比; 心胸比; 心胸郭比
 cardiothoracic ratio  心胸(郭)係数

同じ語でも分野によって訳が違ったり、略し方が違ったりということは時々ありますが、ここまで極端だと、「どれかは」誤訳あるいは誤用でしょう。
cardioは心臓を示す接頭辞、thoracicは胸郭ですから、特に怪しいのが「心肺~」と「心臓~」です。
そこで「心肺比率」を例に、「なぜ」この訳語があてられているのか、原因を探ってみました。

【準備】
「心胸(郭)比」「心肺比(率)」が何を示しているか、確認する。
心胸郭比
著作権の問題にならないよう、明細書から拾いました。

左)特開2013-164755
「図4におけるh/lが心肺比である」という説明があります。

右)特開2004-298318
「心臓の横径13および胸郭の横径14の寸法から心胸比が演算され」という説明があります。

図面上、同じものを指しているようにも見えます。
両者が「完全に」同じものであれば、訳語もどちらでも構わないでしょう。

【状況調査】
例)
1.論文検索CiNiiのFull Textで、「心肺比率」を検索します。

2.結果を年代順に並べます。
33件ヒットし、最古が1958-07-20、最も新しいのが2009-11-27ですが、そのひとつ前が1971-06-11。
このことから、1958年~1971年に使われていた「可能性」が手に入ります。

3.念のため「率」を削って「心肺比」で同じことをします。
201件ヒットし、2000年代が3件、90年代が2件、80年代が6件で、あとは70年代以前です。
最古が1956-07-20。ここで、1956年から70年代を中心に使われていた「可能性」が手に入ります。

4.おそらく正しいのではないかと思われる「心胸郭比」でも、同じことをします。
4949件ヒットし、最古が1962-07-20。最新は2014年まで至っています。
「心胸比」だと3435件で、最古が1961-12-15。

「心肺比(率)」のほうが古く、「心胸(郭)比」のほうが新しい印象を受ける結果になりました。

【仮説】
もし昔と今で表現が変わったなら、学会や業界団体で何らかの事情から変更しているのではないか。

【検証】
Googleを「"心肺比" 学会」で検索すると、「心肺疾患に於ける肺機能の研究 第2報 心肥大と肺機能との関連に就いて」という論文がヒットしました。
この中に、次のような説明がなされています。上と似たような図も、出ています。

---引用ここから
X線上心の大きさを図1に示す如く測定,之を心胸係数C.T.I.と名付けた3).即ち肺の横徑として第3肋骨を結ぶ線をとったのは従来の心肺比4)による横徑を用いる時は,その両端がしばしば切れて測定不能となる事があり,殊に心肥大の高度のものに多いためである.従つて従来の心肺比に較べその係数は幾分大となり,正常例では0.50±0.05(0.42~0.57)となる.
---引用ここまで

従来の心肺比だと問題になり得るという理由で、心胸係数なるものを決めたようです。
C.T.I.で最後が「I」ですから、おそらくindexの略でしょう。
ratioではありませんが、「心肺」ではなく「心胸」で判断しましょう、という動きが推察されますね。
こういう動きがあると、「訳語」としては混同が発生して誤用が生まれる可能性は非常に高いです。

そして論文タイトルをGoogleで検索すると、書誌情報が出ます。
『日本内科学会雑誌』 Vol. 48 (1959-1960) No. 7 P 1128-1138とのことです。

ここで、年代に注目してください。
CiNiiで「心肺比率」が1958年~1971年、「心肺比」が1956年から70年代あたりだろうと出ていました。
見つけた論文は、1959~1960年
さらに、論文中の「心肺比による」という記述に引用文献「4)」の表示があり、該当文献は1956年です。
「心肺比」そのものが1956年に出てきたのではないかという新たな仮説も、成り立つでしょう。
かたや心胸(郭)比はCiNiiで1961年、1962年が最古。見つけた論文の直後で時期が一致しますね。

長くなるのでこのあたりで切り上げますが、専門語の多くは何らかの経緯で生まれているはずなので、その経緯を探し出せば、誤訳や混同などの原因も「ある程度まで」推測できます。

単純な頻度検索では差がはっきりしないようなときは、こうして語句の背景を追いかけてみるのも、ひとつではないかと思います。
CiNiiは年代を手で確認する必要がありますが、J-StagePubMedなど時期の判断が容易なデータベースもありますから、上手に組み合わせてみてくださいね。

関連記事

誤訳訂正制度があるから安心?
「心胸外科」は日本語なのか

この記事を書いたプロ

有限会社サグラーシェ

通訳・翻訳 水野麻子

東京都西東京市新町4-1-3-601 [地図]
TEL:0422-38-5035

  • 問い合わせ

このコラムを読んでよかったと思ったら、クリックしてください。

「よかった」ボタンをクリックして、あなたがいいと思ったコラムを評価しましょう。

1

こちらの関連するコラムもお読みください。

<< 前のコラム 次のコラム >>
最近投稿されたコラムを読む
著作・講演など

■著書・『語学力ゼロで8ヵ国語翻訳できるナゾ―どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく』 (講談社 2010.2;現在6刷)・『大人のための「超手抜き」英語勉強法』...

メディア掲載
ジャパンタイムズ

Japan Times(2002/2/18)TRANSLATION AND INTERPRETATION(6面) 特許翻訳業界の現状と将来の展望に関する記事です。英日翻訳で10,000ワード/日(※)の処理速度や、方法...

 
このプロの紹介記事
特許翻訳のノウハウは自著などで公開。

9つの言語で特許翻訳を手がけた経験がある(1/3)

 特許翻訳のスペシャリストとして活躍中の水野麻子さん。この道22年のベテランです。玩具、食品、電気、機械、化学、最先端のバイオやITなど、手がける特許翻訳は多岐にわたります。かなり専門性の高い内容でも、その完成度が高い仕事ぶりが水野さんの強...

水野麻子プロに相談してみよう!

朝日新聞 マイベストプロ

完成度の高い特許翻訳をスピーディーに行う

会社名 : 有限会社サグラーシェ
住所 : 東京都西東京市新町4-1-3-601 [地図]
TEL : 0422-38-5035

プロへのお問い合わせ

マイベストプロを見たと言うとスムーズです

0422-38-5035

勧誘を目的とした営業行為の上記電話番号によるお問合せはお断りしております。

水野麻子(みずのあさこ)

有限会社サグラーシェ

アクセスマップ

このプロにメールで問い合わせる
プロのおすすめコラム
科学技術英語 1700万語のコーパス
イメージ

サイト側のモバイル対応の有無を検索順位決定に使うGoogleの仕様変更や、サイト運営者によるSEO対策、機械翻訳コン...

[ 訳語調べ&情報収集 ]

誤訳訂正制度があるから安心?

日本では、平成6年の改正特許法(7年7月1日施行)で外国語書面出願制度が導入されました。同時に、翻訳文の...

[ 特許明細書 ]

政府の権利 珍訳・迷訳の原因は?

ときどき、英文明細書の冒頭に「Government Rights」の記載がなされていることがあります。発明(の少なくとも一...

[ 特許明細書 ]

複数のWord/Excel文書をまとめてPDFに
イメージ

WordやExcelで作成した複数の文書ファイルを、一括でPDFに変換したいという需要はわりとあるようです。それも、...

[ 各種ソフトウェア ]

アスタミューゼを使った「誤訳」判断

「世界中の課題を解決し、未来を創る人のプラットフォーム」であることを掲げたastamuse(アスタミューゼ)という...

[ 訳語調べ&情報収集 ]

コラム一覧を見る

スマホで見る

モバイルQRコード このプロの紹介ページはスマートフォンでもご覧いただけます。 バーコード読み取り機能で、左の二次元バーコードを読み取ってください。

ページの先頭へ